家を買うかもしれない。そんな物件に出会いました。
・南向きで日当たり良好
・周辺は治安も良く、閑静な住宅街
・セキュリティもしっかりしている
・ファミリー向けの家で子供部屋も設けられる理想の間取り
しかも、価格は周辺相場よりも圧倒的に安かったのです。
内見に行く前の私は、ほぼ購入するつもりでした。
自分の中での購入確率は、なんと95%。
1ヶ月前に書いた記事では「今家を買うのは違うよなあ」なんて思い悩んでいたのに、驚異の高確率です。
現地に行かなくても他の人にとられたくないの一心で購入するき満々でした。
実際に、現地で見てみても理想の家でした。
賃貸では借りることが中々できないような広さに、リノベーションの費用を足しても積立投資ができるほど生活に余裕ができる住宅ローン。
部屋を見ながら、「この部屋は子供の部屋にして、この部屋は書斎にしたらいいよね」なんて、私たち家族がこの家で暮らすことに想像を膨らませて買う直前まで行き着いていました。
ところが、不動産から告げられた条件に、考えは一転しました。
「10年以上前、この部屋で首吊り自殺があった」のだそうです。
いわゆる、事故物件でした。
言わなければ普通の家だった
正直に言うと、拍子抜けしました。
事故物件と聞いて、どこか薄暗い、悍ましい雰囲気を想像していたからです。
しかし、一歩足を踏み入れて感じたのは、恐怖ではなく「圧倒的に温かみのある家」でした。
言われなければ、ただの綺麗で素敵な家です。
いや、むしろ「今の家と比べたら圧倒的に住みやすそうな家」でした。
というのも、いま私が住んでいる家は、お世辞にも環境が良いとは言えません。
・騒音ストレス(隣家が近すぎて生活音が丸聞こえ)
そんな環境で暮らす私にとって、内見した事故物件は魅力的な家でした。
優しく差し込む太陽の光に、開放感のある眺望。外の喧騒を忘れさせる、心地よい静けさ。
そして、暮らしを守ってくれる万全のセキュリティ。
不謹慎を承知で言えば、胸の奥からこんな本音が漏れ出していました。
「え、ここ、普通にめちゃくちゃ住みたいんだけど……」
過去にそんな暗い出来事があった家とは思えませんでした。
何も知らない娘は楽しそうに走り回っていた
今回の内見には、2歳の娘も連れていきました。
いつもより何倍も広いリビングが嬉しかったのだと思います。
娘は「かけっこしよ〜!」と無邪気な声を上げながら、楽しそうに部屋中を走り回っていました。
かつて人が亡くなったとされる部屋も、ただただ笑いながら何の気なしに楽しく走り回っていました。
何も知らない娘にとっては、「広くて明るい、楽しい場所」。
その小さな足が床を鳴らすたび、私は複雑な感情に襲われていました。
「やっぱり、この家いいな。中々こんな良い物件なんて今後出てこないよな…買っちゃおうかな」そう割り切りたい自分。
しかし、娘の笑顔を見つめる私の頭の片隅では、もう一人の自分が冷ややかに、別の「あること」を考え始めていたのです。
幽霊なんかより、よっぽど恐ろしいもの
誤解のないように言っておくと、私に霊感はありません。
オカルトの類も、基本的には信じていないタイプです。
だから、「幽霊が出そうだから怖い」なんて感情は1ミリもありませんでした。
私が囚われてしまったのは、もっと現実的で、地を這うような生々しい事実でした。
「ここで、誰かが死んだ」
それも病気や寿命ではなく、自ら命を絶ったという動かせない事実です。
明るいリビングに心地よい風。
そんな空間に佇んでいると、私の脳内で「見知らぬ誰か」の姿が勝手に形作られていきました。
『きっと、家族のためにこのマイホームを買ったんだ。』
『でも、景気の悪化などで仕事を失ってしまったのかもしれない。』
『膨大な住宅ローンに加え、子どもは養わないといけない。現状から再就職を試みようにも思うように行かない焦りや絶望。』
『最期まで家族に迷惑をかけたくないと願った、優しいお父さんだったんじゃないか。』
もちろん、すべては私の勝手な妄想です。
亡くなった方の年齢も、性別も、本当の理由なんて何一つ分かりません。
けれど、分からないからこそ、一度回り始めた思考の歯車は止まらなくなってしまいました。
夜な夜なネットに答えを求めて検索魔と化す
内見から帰ったその日の夜。
気がつくと私は、スマホで「事故物件」や「首吊り自殺」について検索を繰り返していました。
画面の向こうには、冷徹で合理的な意見が並んでいます。
「10年以上前のことなら、もう気にする必要はない」
「殺人と違って、怨念が残っているわけじゃないからマシ」
「どんな家だって、住んでしまえばそのうち慣れる」
どの意見を読んでも、その通りだと思ってしまいました。
画面の向こう側にいる方達の言うことは、何一つ間違っていないのだと思います。
何度も言うように、私自身、幽霊が怖いわけではないです。
それなのに、画面を閉じた私の心は、どんよりと重く沈んでいました。
「もし何もない普通の家だったら、こんなこと調べる必要すら、悩む必要すらなかったのに」
事故物件でなければ、考えなくていいはずの「他人の死」について延々と考えてしまいました。
そんな余計な思考に自分のリソースを奪われていること自体が、どうしようもなく嫌だったのです。
それと同時に、私はあることに気づかされました。
私にとって「マイホーム」とは、家族が安心して帰れる場所。ただそれだけでした。
けれど、状況によっては、家という存在が「人生を極限まで追い詰める凶器」にもなり得るのだということです。
もちろん、内見した家で亡くなった方の原因が、住宅ローンだったのかは分かりません。
病気だったのかもしれないし、仕事や、全く別の理由だったのかもしれません。
真実は誰にも分かりません。
ただ、私は以前に『35年ローンが当たり前の家購入って、本当に幸せなのだろうか』という記事を書きました。
今回の内見で、その問いが激しい濁流となって脳内に蘇ってきたのです。
家は、家族の幸せを守るために買うものだと思っています。
でも、その家を手に入れたせいで、家族を、そして自分自身を苦しめる存在になってはいけないとも思わされました。
私が本当に恐ろしかったのは、幽霊ではありません。
マイホームという「人生最大の買い物」が内包する、リアルで残酷な二面性だったのだと気づかされました。
揺れ動く購入確率(内見前 95%→内見後 50%へ)
自殺の話を聞く前、つまり内見の直前まで、私の購入確率は95%でした。
それくらい、条件も部屋の雰囲気も私の理想にドンピシャだったのです。
でも、過去に起きた悲しい事実を知ってしまった今。
私の中の購入確率は50%にまで急降下していました。
「これ以上の好条件の家には、もう二度と出会えないかもしれないし、私は無理な負債は負わない。私が過去に住んでいた人と同じように死ぬことはない。私が死ぬときは安らかに眠るように死にたい。」
という、前向きな気持ち。
「いや、でもやっぱり最近地震が多いし、世界情勢が過渡期を迎えているから予測がつきにくいし。賃貸と比べてキャッシュフローはわかりにくいし、下手したら負の資産になるかもしれない。」と、胸の奥でブレーキをかけようとする、冷めた気持ち。
買いたい、でも買いたくない。
天秤の針は中央でピタリと止まったまま、どちらにも傾く気配がありませんでした。
もしこの家が売れたら、私は「ホッ」としてしまうかも
もしも私たちが悩んでいる間に、先約が入ってしまったら、私は悔しがるだろうか。
天秤の針が50%で止まったままの頭で、そう自問自答してみました。
結果、私はホッとしてしまうだろうなという結論に至りました。
売れてしまえば、もう悩まなくて済むからです。
「ここで人が亡くなったんだよな」という割り切れない思いを抱えたまま、この先35年もローンを払い続けるプレッシャーから解放されるからです。
誤解してほしくないのですが、私は事故物件や、そこに住む人を否定したいわけでは決してありません。
何度も言うように、今回の物件は本当に素晴らしい家でした。
価格の安さも、一歩踏み出したくなるほど魅力的です。
だからこそ、私はここまで狂おしいほどに悩みました。
ただ、私にとってマイホームは、単なる「お得な不動産投資」ではありません。
家族が毎日帰り、人生の地盤となる大切な場所です。
結局のところ、家選びは理屈だけではないのだと思い知らされました。
資産価値。立地。価格。
どれだけ条件を並べて天秤にかけても、最後の最後に購入の引き金を引くのは、もっと泥臭い「感情」なのかもしれません。
条件だけで見れば、95点満点の理想の家。
それでも私は、家を買うということに決断できずにいます。




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