秩父・大陽寺の宿坊に泊まってみた。スマホの電波が届かない一泊二日で感じたこと

日々のこと

こんにちは!山崎たくわんです。

皆さんは「宿坊(しゅくぼう)」へ行ったことがありますか?

私は社会人にるまで、「宿坊」という言葉すら知りませんでした。

知ったきっかけは、友人の何気ない一言です。

「宿坊に行ってみたいんだよね。」

「・・・シュクボウ?何それ?美味しいの?」

最初は新しいレジャー施設か何かだと思いました。

調べてみると、お寺に泊まり、読経や写経、坐禅などを体験する場所とのことでした。

正直、少しスピリチュアルな印象を受けて懐疑的でしたが、怖いもの見たさもあって興味が湧きました。

実際に行って、自分の目で見て、肌で感じてみたい。そんな好奇心から、人生初の宿坊体験をすることにしました。

なぜ秩父・大陽寺を選んだのか

宿坊といっても全国にたくさんあります。

その中で私が選んだのは、秩父にある「大陽寺」でした。

理由は以下の通りです。

・都心からのアクセスが良い
・ホームページがわかりやすく宿坊初心者でも何をするのかイメージが湧きやすかった
・デジタルデトックスが強制的にできる

まず一つ目は、アクセスの良さ。

池袋から西武特急ラビューに乗れば、秩父まで乗り換えなしで行けます。

以前からラビューに乗ってみたいと思っていたので、「旅行気分も味わえそうだな」という軽い理由もありました。

念願のラビューに乗れてはしゃぐ私

 

二つ目は、ホームページがとても分かりやすかったことです。

参考:天空の寺 大陽寺

一泊二日で、以下体験ができることが分かりました。

・写経
・読経
・法話
・精進料理
・坐禅
・朝のお勤め

初心者の私でもイメージしやすく、ありがたい情報でした。

 

そして、一番宿坊に惹かれた理由。

それは「電波が届かない。」ということでした。

最近の私は、ブログを書くこともあって、毎日スマホやパソコンを触っています。

分からないことがあればすぐに検索でき、SNSを開けば新しい情報がすぐに入ってきます。

ショート動画を見始めたら最後。気付けば一時間が過ぎてしまっていたということもしばしば起こります。

便利になった一方で、知らなくてもいい情報まで毎日受け止めきれないほどの情報量が頭に入ってきます。

 

だからふと思いました。

「もしスマホが使えなくなったら、自分は何をするのだろうか。」と。

スマホを触っていた時間を、私は何に使うのか試してみたくなったのです。

さらに、仕事、家事、育児、副業。

毎日目まぐるしく過ぎていく生活から少しだけ離れて、自分のためだけの時間を過ごしてみたいという思いもありました。

地元の人に聞いていた三峰口駅は、「本当に何もない」

宿坊当日。

秩父駅周辺で少し寄り道をしたあと、宿坊の集合場所である三峰口駅へ向かいました。

実はその前に立ち寄った、とある喫茶店のマスターから「三峰口なんて田舎も田舎だよ!」と言われていました。

「秩父が都会だとしたら、三峰口はど田舎。」

そんな言葉を聞いていたので、どれほどのものかと思っていました。

電車を降りると、「……なるほど。」

鉄道好きなら見逃せない「SL転車台公園」という看板と、古びた商店が数軒並び、さらに視線を上げると周囲には青々とした山々がどっしりと聳え立っていました。

都会では聞こえない鳥の声。緑に囲まれた山々。空気まで違うように感じました。

駅前の便利さに慣れきっていた私にとって、それだけでも十分非日常でした。

その後、住職とボランティアスタッフさんと合流し、大陽寺まで車で連れて行ってくれました。

最初に迎えてくれたのは、5匹のラブラドールレトリバー

大陽寺へ着いて、一番最初に目に飛び込んできたもの。

それは本堂ではなく、犬小屋からこちらを覗いている、5匹のラブラドールレトリバーでした。

住職の愛犬 ラブラドールレトリバー

私は幼い頃、ラブラドールを飼っていたこともあって犬の姿を見た瞬間、懐かしさで胸がいっぱいになりました。

5匹のラブラドールレトリバーを拝めただけで、もう来てよかったと思えたくらいです。

後から住職が犬たちを外へ出してくれました。

3匹が嬉しそうに尻尾を振りながら近寄ってきて、宿坊にきた人々の匂いを嗅ぎ、歓迎するように手をぺろぺろ舐めてくれました。

久しぶりに感じた犬の匂い。

人懐っこい犬たちのおかげで、初めて訪れた場所なのに、不思議と緊張がほどけていきました。

700年以上、人の悩みに寄り添ってきたお寺

犬たちに癒やされたあと、改めて本堂へ目を向けました。

大陽寺

そこには700年以上もの歴史を重ねてきた建物がありました。

もちろん年月を感じる部分もありますが「古い」のではなく、「歴史」そのものに見えました。

現住職のお話では、一度は廃寺になったものの、住職ご自身が再びこのお寺を守ることを決意し、大陽寺を復活させたそうです。

さらに驚いたのは、このお寺は昔、女性のためのお寺としての役割も担っていたということ。

大陽寺の歴史が書かれた看板

当時は女性の立場が低く、自由にお寺へお参りすることも難しかった時代。

そんな女性たちが参拝できる場所として、多くの人を受け入れてきたそうです。

境内には「子寳石(こだからいし)」もありました。

この石に座ると子寶さずかるらしい

子どもを授かりたいと願う人々が手を合わせてきた石です。

私自身、子どもを授かるまで不安な日々を過ごしたことがありますが、「700年前も。今も。人が抱える悩みは、案外変わらないものなのだな」と子寶石を見て思いました。

時代は変わっても、家族のこと。将来のこと。健康のこと。生き方のこと。

人は昔から、何かに悩み、誰かに救いを求めながら生きてきたのだと思うと、700年前の人たちが急に身近な存在に感じられたのでした。

写経をしても、「無」になるどころか、頭の中は雑念だらけだった

宿坊で最初に体験した修行は、写経でした。

妹と一緒に寺の縁側で写経

般若心経を一文字ずつ、筆で書き写していきます。

私はてっきり、先に般若心経の意味を教えてもらえるものだと思っていましたが、事前に意味を伝えてしまうとアレコレ考えてしまう可能性があると住職に助言をいただき、まずは何も説明受けず、とにかく書いてみることになりました。

 

手本の上に半紙を重ね、一文字目を書き始めます。

最初の数行は、姿勢も正して集中していました。

「よし、丁寧に書こう。」

そう思っていたのも束の間。

十数分もすると、筆を持つ手がだんだん疲れてきます。

「あぁ、まだこんなにあるのか……。」

そんなことを思い始めると、不思議なもので筆はどんどん速くなっていき、気付けば「早く終わらせたい。」という邪心に駆られて、ただ手を動かしている自分がいました。

結局、40分ほど半紙と向き合ったのですが、「無になる」どころか、頭の中ではいろいろなことを考えてしまっていました。

2/3は邪念に駆られて完成した写経

「ブログに残したいくらい非現実的な体験だな・・・。」

「夕飯の精進料理って何が出るんだろう・・・。」

「淹れてもらった狭山茶、美味しいな・・・。」

雑念だらけでした。

「写経で何も考えずに無になるなんて、やっぱり難しい。」というのが、そのときの率直な感想でした。

ですが、その40分は決して苦痛な時間ではありませんでした。

窓の外から聞こえる鳥のさえずり。

木々を揺らす風の音。

夏とは思えないほど心地よい涼しい風。

普段ならエアコンの効いた部屋でパソコンを叩いている時間を、自然の音だけを聞きながら過ごしていました。

今思えば、ただ文字をひたすら書き続けるというだけでも十分贅沢な時間だったのかもしれません。

書き終えたあともしばらく縁側に座り、ただ外を眺めていました。

あまりにも心地よくて手が写り込んでしまった写真

「何もしない時間って、こんなに心地よかったのかあ。」

そんなことをぼんやり考えていました。

住職が教えてくれた般若心経の「空(くう)」という考え方

写経をし、住職手作りの露天風呂に入り終えると、読経の時間がやってきました。

写経した般若心経を、住職と一緒に読み上げました。

正直、意味はまだよく分かりません。

ただ、独特のリズムで声を合わせて読む時間は、それだけでどこか心が落ち着くものでした。

読経が終わると、住職が般若心経の内容を分かりやすく説明してくださいました。

その中で、一番印象に残ったのが「空(くう)」という考え方です。

「人は『これは自分のものだ』『ずっとこのままでいてほしい』と執着してしまいます。」

「でも、この世に変わらないものはありません。」

「だから、変わるものに執着すると、その執着が苦しみになります。」

「だからこそ、『空』という考え方があるんです。」

「なるほど・・・」分かるようで分からない状態で、自分の中に落とし込めたわけではありませんでした。

優しい味で心に残る精進料理

空の概念についてぼんやりと考えていると、気づけば夕飯の時間になっていました。

この宿坊の中で一番楽しみにしていたイベント、「精進料理」です!

人生初めての精進料理

肉も魚もありません。たんぱく質は主に大豆。

普段の私なら「少し物足りないし、味も薄そうだな」と思ってしまいそうな献立ですが、一口食べてみると美味しい。

特に印象に残ったのが、ナスの素揚げでした。

家なら間違いなく麻婆茄子にしてしまう私ですが、このナスは素材そのものを味わう料理なので派手な味付けではありません。

それでも、ナスの甘みや香りがしっかり感じられます。

「ナスって、こんなに美味しかったんだ。」と、30年生きてて初めてナスそのものの美味しさに気づきかされました。

具だくさんのお味噌汁も忘れられません。

私が大好きな担々麺と同じくらいに、また食べたくて恋しくて仕方ないです。

野菜の旨みがしっかり溶け込んでいて、特にカボチャが溶け切っていて、ほんのり甘くて優しい味でした。

美味しさのあまり思わずおかわりまでしてしまいました。

普段は濃い味ばかり求めていたけれど、素材の味を楽しむこともいいなと、思わせてくれる夕食でした。

法話にて聞いてみた 「事故物件が怖いんです。」

法話の時間には、参加者が住職へ質問できる時間がありました。

私は以前から心に引っかかっていたことを思い切って相談してみました。

実は私は、条件がとても良い事故物件の購入を検討していました。

立地も価格も申し分ありませんが、自殺で亡くなられた方がいた部屋でした。

どんな方だったのか。どんな思いで亡くなられたのか。それを考えると、どうしても心が苦しくなってしまう。

そんな話を住職へしました。

すると住職は、穏やかな表情でこう話してくださいました。

「何百年という歴史の中で、人はどこでも亡くなっています。」

「人間は土地に線を引いて、『ここは私の家』『ここは私の土地』と言いますよね。」

「でも、本来、地球は一つなんです。」

「『自分の家だ』と思うのではなく、『住まわせてもらっている』という気持ちで暮らしてみてください。」

「亡くなられた方、事故物件だと忌み嫌うのではなく、大変で苦労された人生だったことに思いを寄せ、冥福を祈る。」

「そして、自分たちが温かい家庭を築いていけばいいんです。」

そう教えてくれました。

今までは、亡くなられた方の計り知れない苦労に寄り添うあまり、自分まで苦しくなっているのだと思っていました。

しかし、実はそういうことではなく、私は無意識のうちに事故物件という過去の事実や、自殺してしまった方を忌み嫌っていたのかもしれません。

「マイホーム=過去に傷がない方がいいに決まっている」という執着が生まれ、「ここは私のフィールドだ!」と強く思うからこそ、自分自身を苦しくさせていたのではないか。

そんな私の見えない苦しみを住職が言語化してくれたことで、何かスッと身の重さが軽くなったように感じました。

理解しているようで理解していなかった「空(くう)」の教えも、ここに繋がってくるのだなと、ブログを書いていて改めて思いました。

寝る前のフリータイム 電波がない夜は、人と話す時間になった

寝る前のフリータイム。私は反射的にスマホを手に取り、アンテナが立っていないことを再確認しました。

それでも癖でメッセージアプリを開いてしまいます。

ホーム画面には未読件数だけ表示されています。

「何が来ているんだろう。」と気になって開いてみても、当然読み込めません。

スマホも、電波が届かなければ、ただの電子化したメモ帳。ただのカメラでした。

普段生活をしていて、ネットに繋がらない状況に陥ってしまったら発狂してしまうかもしれないですが、不思議と困ることはありませんでした。

宿坊では、みんなが自然とスマホ以外の時間を自由に過ごしていたからです。

本を読む人。外を眺める人。参加者同士で談話する人。

私はというと、イギリス出身の方2名を含む計5人でカードゲームをすることにしました。

ゲームはイギリス出身の方が持参してきた「DEAL」という海外で販売されているカードゲームです。

初めて見たカードゲームなのでルールはもちろん分かりません。

カードゲームの持ち主であるイギリスの方々は日本語を少し話せるくらい。

私も義務教育で英語を学んだはずなのに、ほとんど話せないし聞き取れません。

それでも、「OK?」「Like this?」「NO?」と身振り手振りと片言の英語、日本語を混ぜながら、なんとかゲームは進んでいきました。

ルールが全く分からない私たちにイギリスの方々は、カードの意味や勝利条件など親切に、丁寧に教えてくれましたが100%理解をすることはできませんでした。

ルールもカードの意味も理解していない初心者の私が参戦しても、相手にならなくてつまらない思いをさせてしまうのではないか。

そんな申し訳ない気持ちを抱えながらゲームを進めていたのですが、なぜか私が勝ってしまうという不思議な現象が起きていました。

 

カードゲームを終えた後、流し台で一緒に歯を磨いていると、一匹の蜘蛛が現れました。

「スパイダー!」と知っている英単語を一つ叫ぶだけで、お互い笑ってしまう。

今思えば、本当に尊い時間でした。

スマホがなかったからこそ生まれた、一生に一度の出会い。

「一期一会」という言葉を、少しだけ実感した夜でした。

住職の愛犬ラブラドールとの朝さんぽで1日がスタート

翌朝は6時に起床しました。普段なら、まだ眠っている時間です。

でも不思議と目覚めは良く、眠気もあまりありませんでした。

支度を済ませると、住職がラブラドールレトリバーを連れてきてくださり、朝の散歩へ出かけました。

朝さんぽで少し離れた位置で見守ってくれる犬様

山道を歩く犬たちは、昨日と変わらず元気いっぱいでした。

嬉しそうに歩く姿を見ているだけで、こちらまで自然と笑顔になります。

空気は7月の割にひんやりとしていて、深呼吸をするだけで気持ちがいい。

鳥のさえずり。木々の葉が風で揺れる音。土の匂い。

都会では意識したこともないものを、五感全部で感じていました。

普段、自宅ではアレルギーなのか朝になるとくしゃみが止まらないことがありますが、大陽寺に来てから一度も出ませんでした。

綺麗な空気のおかげだったのか、それとも気持ちの問題だったのか。

理由は分かりませんが、それくらい心地よい朝でした。

「空」を頭ではなく、身体で感じた朝のお勤め

本堂へ入り、住職が読経を始めます。

人生初 朝のお勤め

昨日とは違い、和太鼓が鳴り響き、磬子の音が静かな空間に響き渡りました。

その音は耳で聞くというより、身体の奥まで響いてくるような感覚でした。

前日に教えていただいた「空」という言葉。

写経をしても、坐禅をしても、私はずっと何かを考えていました。

「無になろう。」

そう思えば思うほど、頭の中には雑念が浮かんできて、「空」は難しいものなんだと思っていました。

でも、この朝のお勤めだけは違いました。

住職の読経に圧倒され、太鼓と磬子の音に包まれ、気付けば何も考えていなかったんです。

ほんの一瞬だったと思います。

「……あれ。もしかして、これが空ってことなのかな。」

昨日聞いた「空」という言葉が、頭ではなく身体にすっと入ってきたような感覚でした。

そして、ふと思いました。

私は、この時間を体験するためにここへ来たのかもしれない。

いや、もっと大げさに言えば、産まれた時にはあったこの「空」という感覚を思い出すために宿坊へ招かれたのかもしれない。

感動してしまって涙が出そうになりました。

坐禅でも私は私だった

朝のお勤めのあとは坐禅をしました。

窓際の景色が見える、気持ちのいい場所で座り、視線は二メートルほど先の床へ。

姿勢を正し、静かに座ります。

「よし、今度こそ無になれるかもしれない。」

そう思っていたのですが……心地よすぎて眠くなってしまいました(笑)。

頭が前へカクッとなるたびに、「危ない危ない」となんとか持ち直したりしましたが、坐禅している回数よりも意識が飛んでいた回数の方が多かったと思います。

まだまだ修行が足りないことを痛感しました。

素材の味を再認識した朝ごはん

朝食も精進料理でした。

縁側で参加者全員が1列に並び、景色を眺めながら、静かにいただきました。

生ヒーリング音に癒されながらいただく朝食

鳥の声。風の音。木々が擦れる音。土の匂い。

昨日の写経をした場所で、今度は朝ごはんを食べる。なんとも贅沢な時間でした。

朝食には、お粥が出ました。味付けはありません。

普段の私なら、迷わず塩を振っていたと思います。

でも、この時は違いました。

昨夜から優しい味付けの料理を食べ続けていたからでしょうか。

お米そのものの甘みがしっかり感じられ、今まで食べてきたお粥の中で一番美味しかったです。

「素材の味を楽しむ。」ということを体験したのは、この朝だった気がします。

2歳の娘は毎日「空」に近い世界を生きているのかもしれない

宿坊から帰ってきて、スマホを見る時間が劇的に減ったわけではありません。

相変わらずブログも書きますし、調べものもしますし、ショート動画を見てしまう日だってあります。

ですが、一つだけ変わったことがあります。

娘と公園へ行く時間です。

二歳の娘は、毎日身体を使って五感で世界を知ろうとしています。

土を触る。葉っぱを拾う。風を感じる。水たまりに入る。泥あそびをする。虫を見つけて追いかける。

何でも触って、何でも面白がります。

一方の私は、スマホやパソコンを通して世界を知った気になっていました。

ですが、本来、人間は娘のように五感を使って世界を感じる生き物だったはずです。

宿坊で自然に触れ、「空」という考え方に出会ったことで、その当たり前のことを思い出させてもらいました。

これからも仕事や育児、副業で忙しい毎日は続きます。

それでも、娘と公園へ行く時くらいはスマホをポケットへしまって、一緒に泥だらけになって遊びたい。

風を感じて、鳥の声を聞いて、童心に帰りたい。私も少しくらいは娘を見習わないと。

そう思えるようになったことが、私にとって一番大きな収穫でした。

また大陽寺に行きたい

宿坊があまりにも心地よかったので、実は翌日は仕事を休み、ゆっくり余韻に浸ろうと思っていました。

ですが、自宅へ帰ってきて感じたのは、意外な気持ちでした。

街の音が少しうるさく感じる。

もっと緑を見ていたい。

もっと静かな場所で、ぼーっとしていたい。

宿坊が恋しい。

たった一泊二日だったのに、そんなことを思ってしまいました。

またいつか、あのラブラドールたちに会いに行きたい。

住職の法話を聞きたい。

鳥の声を聞きながら精進料理を食べたい。

そして、朝のお勤めでほんの一瞬だけ感じた、あの静かな感覚をもう一度味わいたい。

きっと私は、その日を楽しみに、また日常を頑張れる気がしています。

普段は見ない地面もよく見てみると幻想的だった

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