こんにちは!山崎たくわんです。
スマートフォンが普及する前の時代。
情報収集をする手段がテレビや新聞紙、ラジオしかなかった幼少期。
伯父から「一般常識を身につけるには、新聞紙を読んで情報を収集しないとダメだ」と言い聞かされた覚えがあります。
一般常識がないと何故いけないのか、幼いながら疑問に感じ、質問をしたことが何度もあります。
返答は
一般常識がないと、社会で恥ずかしい思いをするからだよ。ある程度の一般常識があれば、その知識を基に会話を広げることだってできるでしょう。
この解答を聞いても、私は腑に落ちませんでした。
一般常識が無いと、なぜ恥ずかしい思いをするのか。
確かに、トイレ以外の場所で用を足したり、殺人をするのは非常識だと思いますが、多くの人が読める漢字を一部の人が読めないことに対して、一般常識がないと結論づけるのは、あまりにも短絡的ではと思うのです。
新聞紙に書かれていることは一般常識なのか?
新聞紙には世界で何が起きているのか、多くの事実に基づいた出来事が書かれていますが、これらを知らないというだけで一般常識が欠けていることになるのでしょうか。
新聞紙を書いているのは人間です。
人間である以上、誰でも間違いを犯すことはあります。
つまり、誤った情報が流出されることもあるのです。
しかしながら、誤った情報でも大多数の人が認識することで、それは一般常識となり得ることもあります。
情報の公開は、ある種の洗脳みたいなもんだよね
このことを踏まえると、必ずしも新聞紙が100%正しい情報を公開しているとは限りません。
噂話でも同じようなことが言えます。
自分の目で実際に確かめない限り、噂が真実なのかは判断できませんよね。
ただ、人の労力には限界があります。
そのため、メディアに頼り、情報収集を自然と行っていますが、情報の取捨選択は人それぞれの判断基準で行うべきだと思います。
ニュースを見なくても、自然と大事な情報は入手できる
以前、当ブログでテレビ離れをして良かったと思うこと、悪かったと思うことを書きまとめました。
テレビ離れをした結果、良かったと感じたことは以下の通りです。
・物騒な情報が入りづらくなって、不安に思うことが減った
・テレビの前で寝落ちすることが無くなった
・自分で情報の取捨選択をするため、情報が偏向してしまう
結論、メディアに頼らなくても、自分自身で情報を掴むことができれば困ることはありません。
むしろ、知らぬが仏で、ニュースを見ないほうが幸せだと感じることも増えた気がします。
人と繋がってさえいれば、大きな出来事・情報は、自然と入手できます。
情報は鵜呑みにせず、自分で判断する
インターネットが普及した今、脳の容量をオーバーしてしまうくらい情報が多く出回っている状況です。
脳内の情報処理量が過密状態になると、脳の機能が低下し、記憶力や判断力、理解力などが低下することもあるそうです。
このような状態を「情報過多シンドローム」と呼称されているそうです。
人生は一度きりです。
自分にとって幸せに過ごすには、どんな情報を入手した方がいいのか。
現実問題を知ることも、ときに必要かもしれませんが、情報は自分の生き方に責任を持ってくれることはありません。
自分で責任を持って、自分の人生を過ごせられるよう、非常識と言われようが、これからも情報の取捨選択を行い続けようと思います。
おわり
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