「0歳保育はかわいそう?」3歳で入園して泣いた私と、0歳から保育園に通う娘のリアル

育児

こんにちは!山崎たくわんです。

0歳から保育園なんてかわいそう」

「3歳までは親が見てあげた方がいい」

SNSを開くと、ときどきこんな言葉が目に飛び込んできます。

「親にわがままを言えない子は愛情不足」なんて話を聞いて、不安になることもありますよね。

もちろん、子どもと過ごす時間は宝物です。

私も娘が愛おしいですし、できるならもっと一緒にいたいです。

でも、0歳から保育園に通う娘を見ていて、ふと思ったのです。

「保育園に通うことって、本当に『かわいそう』なのかな?」と。

そう違和感を覚えるのは、私自身が3歳で幼稚園に入ったとき、とても怖い思いをしたからでした。

私にとって幼稚園は「社会デビュー」だった

3歳になるまでの私は、100%「家族だけの世界」で生きていました。

ママとパパ、じいじとばあば、そして親戚。

関わるのは、大好きな人たちだけ。

そんな私が、ある日突然、母に連れられて幼稚園という名の「社会」に放り込まれました。

当時の私にとっては、まさに天変地異のような大事件でした。

ずっと一緒だった母親がいなくなり、知らない大人と、知らない子どもたちに囲まれる空間。

「いつ迎えに来てくれるの?」

「私はずっとここに置いていかれるの?」

大人にとっての「たった数時間」は、3歳の私には「永遠」に感じました。

先生はとても優しかったです。

でも、その優しさすら恐怖でした。

だって、知らない人だから。

なぜ自分に優しくしてくれるのか、理由が分からなかったから。

そこにあったのは、安心感ではなく、ただただ深い不安だけでした。

おもちゃの電話で必死に母を呼んでいた

幼稚園時代の記憶のなかで、今でも鮮明に覚えている光景があります。

幼稚園の入り口に置かれていたプラスチックのおもちゃの電話です。

もちろん、本物の電波がつながるわけではありません。

でも私は、その受話器を必死に握りしめて、泣き叫んでいました。

「お母さん、お迎えに来て――!」

今思えば、クスッと笑ってしまうようなエピソードです。

ですが、当時の私はいつでも命がけで、大真面目でした。

それくらい、母親と引き離されることが不安でたまらなかったのです。

ふと周りを見渡すと、他の子たちはみんな楽しそうに遊んでいました。

なぜ、自分だけがこんなに苦しいのだろうか。異世界に一人きりで放り込まれたような絶望感。

しかも、私は「早生まれ」なので、4月生まれの子とは、ほぼ1年の差があります。

大人になれば些細な差ですが、3歳児にとっての1年は「人生の3分の1」。

周りの子たちが何を話しているのか、ついていけない。

なぜみんなが笑っているのか、理解できない。

周囲の子たちが楽しそうに遊んでいるなかで、私はただ一人、おもちゃの電話を握りしめながら「とにかく早く帰りたい」と願い続けていました。

一方、娘は0歳から保育園に通っている

そんな私の娘は、0歳から保育園に通っています。

娘は4月生まれなので、入園したときは「ほぼ1歳」でした。

もちろん、最初からすべてが順調だったわけではありません。

慣らし保育では大泣きし、ゴールデンウィークが明けたときも、私にしがみついて泣きました。

ですが、今ではすっかり変わりました。

朝になると、自分の足でしっかりと保育園の玄関へと向かっていきます。

教室で大好きな先生を見つけると、パッと笑顔になって嬉しそうに近寄っていくのです。

家でも、よく先生の話をしてくれます。

「〇〇先生、かわいい!」

正直、親としては「私より先生が好きなのかな……?」なんて、少し複雑な気持ちになることもありますが、私の知らないところで、自分の力で、先生との確かな「信頼関係」を築き上げた証拠。

かつて3歳の私が、どうしても手に入れられなかった安心感を、娘は保育園で早々に見つけていました。

私にはできなかったことを、娘は当たり前のようにやる

先日、友人親子と一緒に、子ども向けの遊び場へ行ったときのことです。

私はてっきり、娘は友人の子どもと遊ぶのだろうと思っていました。

ところが、娘がロックオンしたのは、近くにいた「初対面の年上のお姉さん」でした。

気づけばそのお姉さんの後ろをトコトコとついて回り、一緒に遊び、ちゃっかり隣に座っていました。

私が遠くから娘を呼んでも、完全に「お姉さんの方が気になる!」という様子。

もし私だったら、子どもの頃どころか大人になった今でも絶対にできない芸当です。

ましてや同級生ではなく、少し年上のお姉さん。

幼稚園時代の私は、特定の友達の後ろに隠れて、静かにくっついて遊ぶタイプでした。

初対面の子に自分から話しかけるなんて、天地がひっくり返っても考えられません。

幼少期の私が、絵に描いたような「陰キャ」だったとしたら、娘は、陽キャのなかの「超・トップ陽キャ」です。

保育園のおかげなのかは分からない

もちろん、娘の社交性が「すべて保育園のおかげ」なのかと言われれば、それは分かりません。

もともと生まれ持った性格や、個人差も当然あると思います。

ただ一つ確かなのは、娘が保育園という社会のなかで、日々多くの人と関わっているということです。

それは、同じクラスの友達だけではありません。

園庭で遊ぶときは年上のお兄ちゃん・お姉ちゃんたちに混ざり、教室には担任以外の先生方もたくさんいます。

親以外の多様な大人や子どもと接する経験を、娘は0歳の頃から、毎日一歩ずつ積み重ねてきました。

その濃密な時間が、今の娘の「土台」を形作っている部分は少なからずあるはずです。

実際、社交性だけでなく「言葉や知育の発達」にも驚かされることがよくあります。

私は3歳のときにピアノを習い始め、そこでようやく「右手と左手の区別」を教わりました。

一方で娘は、2歳にしてすでに右手と左手をちゃんと理解しています。

これもまた、保育園のおかげとは言い切れません。

でも、毎日お家の中だけでは出会えないような、たくさんの刺激を全身で受け止めていることは間違いないのだと思います。

0歳保育がベストだとは思わないし、3歳まで社会と接しないのも勿体無い

誤解のないように言っておくと、私は「0歳保育が絶対に正しい」と言いたいわけではありません。

むしろ、生後半年ほどの赤ちゃんを保育園へ預けるのは、体力面でも精神面でも、親子ともに本当に大変なことだと思っています。

まだ腰も据わっていない、離乳食も始まったばかりの時期。

親だって、毎日の夜泣きで慢性的な寝不足です。

赤ちゃんは何が起こるか分からないからこそ、万が一のことが起きたときの「あのとき、自分で見ていればよかった」という後悔はしたくないです。

だからこそ、個人的には「1歳頃までは、もし親が家で見守れる環境にあるのなら、その方が親としても安心だろうな」と思っています。

 

その一方で、私自身の経験を振り返ると、「3歳までずっと社会と接しないのも、それはそれでもったいない気がする」という本音もあります。

3歳まで親中心の「100%安全な世界」だけで育った私は、いきなり幼稚園という母親のいない社会に放り込まれ、あまりの恐怖にパニックになってしまいました。

もちろん、社会性を育むためには、いつかは通らなければいけない道だったのかもしれません。

でも、当時の幼い私にそんな事情は分かりません。

ただただ、世界から孤立したような恐怖を味わっただけでした。

 

「親と一緒に過ごす、たっぷりの愛情の時間」も大事。

「家庭の外で、たくさんの人と関わる社会の時間」も大事。

どちらか一方だけが、100点満点の正解というわけではないのでしょう。

0歳保育は「かわいそう」の一言では語れない

私がかつて、おもちゃの電話を握りしめて泣きながらお母さんを探していたのは3歳のとき。

一方の娘は、それよりも1歳も小さい2歳のいま、すでに保育園生活の「2年目」を迎えています。

当時の私よりずっと小さいはずなのに、幼い頃の私にはどうしてもできなかったことを、娘は当たり前のようにやってのけています。

だからこそ私は、世間の「0歳保育はかわいそう」という言葉を聞くと、少しだけモヤモヤしてしまうのです。

少なくとも私の目の前にいる娘は、保育園でたくさんの大好きな人と出会い、たくさんの刺激をもらいながら、毎日を本当に楽しそうに過ごしています。

もちろん、親の愛情は何よりも大切です。

でも、子どもの世界を豊かに広げてくれるのは、決して親だけではないのかもしれません。

毎日温かく見守ってくれる先生がいる。

一緒に笑い合えるお友達がいる。

遊び場で優しくしてくれた、初対面のお姉さんがいる。

 

そんな、たくさんの愛に溢れた関わりのなかで、娘は私の知らないうちに、自分の力で少しずつ成長しています。

今日も娘は、小さなリュックを背負って、元気に保育園へと向かっていきました。

その小さくて、でもどこか誇らしげな後ろ姿を見送りながら、私はいつも心の中で「すごいなあ」と呟いています。

自分の力で新しい世界を切り拓いていく我が子を、私は一人の人間として尊敬しています。

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