こんにちは!山崎たくわんです。
今回は少しダークな記事です。暗めです。
過去にいじめを受けて、「自分はこの世界で生きていけない」と本気で思っていた時期がありました。
毎日が怖くて、苦しくて、「消えてしまいたい」と何度も考えていました。
そんな私でも、少しずつ変わっていき、今は普通に生活しています。
毎日それなりに幸せを感じられています。
今回は、いじめられていた過去の私からどうやって抜け出していったのかをご紹介します。
今つらい思いをしている方や、過去の出来事に苦しんでいる方にとって、少しでも何かのきっかけになれば嬉しいです。
いじめを受けていた頃(超暗黒小学生時代)
私が初めていじめを受けたのは、小学6年生のときです。
嫌なあだ名をつけられ、ガラスのハートがズタボロになる
小学生時代の私は、大人しい性格でした。
というより、頭の中では言いたいことや気持ちはあるのに、うまく言葉にできず、結果的に大人しくせざるを得ない状態でした。
いじめっ子男子は、私があまりにも大人しいが故に何をしても反論できないことを見越して、私に「影が薄いから今日から”うすいさん”な!」とあだ名をつけてきました。
このあだ名をつけられたとき、「嫌だからやめてほしい」と自分の気持ちを素直に言えたらよかったと、何度も思いました。
でも当時の私は、言い返したらもっと変なあだ名をつけらたりするかもしれない、いじめが酷くなるかもしれない、という怖さがありました。
結局、自分の気持ちにフタをして、笑ってごまかすことしかできませんでした。
嫌なことをされても、「ねーえ!」と笑って流す。
そんな反応しかできなかったので、いじめはどんどんエスカレートしていきました。
地獄の席替え
あるとき、席替えがありました。
私が学校を休んでいる間に、希望制で席替えが行われました。
男女交互に並ぶことが条件で、座席を自由に選ぶことができるという席替えでした。
この席替えのメリットは同性同士で縦横に並ぶことはできなくても、グループワークなどで仲のいい人と組むことができます。
一見、最高の席替えのように思われましたが、私にとっては地獄の席替えとなってしまいました。
仲のいい人同士で固まった結果、いじめっ子たちのグループができていました。
休み明けに登校して、自分の席を見たとき、絶望しました。
前後左右がすべて、そのいじめっ子たちだったからです。
人生ドン底暗黒ライフ〜もうやめて!私のライフはゼロよ!!〜
普段通りに座っていて、友人と話しているだけなのに、
「あれ?なんか聞こえた?」
「え?聞こえなーい!」
「あ、うすいさんいたのかよ!」
「影が薄すぎて見えなかったわ!ぎゃはは」
と、左右前後にいるいじめっ子から、下品な笑い声を浴びせられました。
正直、「なんで私なんだろう。希望性の席替えってデメリットしかないじゃん!」とずっと思っていました。
ひどいときは授業中、先生が目の前にいるのに、
「うわ!隣に誰かいると思ったらうすいさんいるわ!びっくりしたー」
「おいおい〜、うすい菌がつくからやめろよ!」
と言われて、両隣から机を押されることもありました。
目の前で机が揺れているのに、何も言えない。
先生も周囲の人も気づいているのか分からないけど、何も言ってくれない。
泣きそうになりましたが、ここで泣いたら
「自分が弱い人間になってしまう」
「自分は影が薄いうすいさんです」と認めてしまうような気がして、必死にこらえていました。
どうしたらいいのか分からなくて、必死に笑顔を取り繕っていました。
登校拒否になりかける
学校に行きたくない
学校に行きたくない日が増えていきました。
でも当時の親は「それくらい大したことない」「いじめじゃなくてからかっているだけだ」と言い、学校に行くように言われていました。
親の言うことは絶対。
絶対王政ならぬ、絶対両親。
忠実に親の言葉に従って、行きたくない学校に懸命に行きました。
そんなある日、あまりにも学校に行くのが嫌すぎて、玄関で泣きながら吐いてしまいました。
そこでやっと、母が異変に気づいてくれて、休むことができました。
「とにかく学校に行きたくない」
「いじめられるのが怖い」
「消えてしまいたい」
そんなことばかり考えていて、不登校になりかけていました。
転機が訪れる
その後、親がいじめについて詳しく話を聞いてくれて、先生に伝えることになりました。
正直、少し救われた気持ちと、
「いじめられていたことが知られてしまう怖さ」が半分ずつありました。
今思うと、周りの目を気にしすぎていたなと思います。
もしそれで離れていく人がいるなら、それは最初から本当の意味での友達ではなかったのだと思います。
いじめがあったことを知らされた先生は、謝罪をしに家庭訪問までしてくれて、しっかり話を聞いてくれました。
親はコーヒーにミルクを入れて先生に提供しましたが、一口も飲みませんでした。
コーヒーとミルクが分離してしまうくらい、長時間親身になって話を聞いてくれました。
2度といじめが起きないようにと、翌日、授業を止めてクラス全体でいじめについて話し合いが行われ、いじめっ子たちにも指導が入ったそうです。
いじめ発覚後 クラスの反応
いじめについて話し合いが行われたことで、今まで交流がなかった同級生までもが本気で心配してくれました。
クラスの子たちは私が登校拒否にならないよう、メッセージを書いてくれました。
「いじめっ子は本当にサイテーなやつだよね!私も嫌な思いしたことあるからすごくわかる!」
「いじめっ子はもう2度とやりませんって言ってたし、繰り返させないよう私たちも見張るから安心してきて!」
そんな温かい言葉に、涙が出ました。
中には、いじめっ子からの謝罪の言葉もありました。
でも正直、「こんな紙1枚で、謝罪の言葉で、今までのことがなかったことになるわけないだろう!」という怒りの気持ちもありました。
いじめが無くなり、その後に残ったもの
その後、カウンセリングを受けながら、少しずつ学校に復帰することになりました。
いじめそのものは終わりました。
でも、心の中には簡単には消えないものが残りました。
私のことを話しているという証拠はないのに、複数人が周りで話していると、私のことを悪く言っているのではないだろうかと、他人を疑うことが当たり前になりました。
またいじめっ子は男子だったということもあり、男子と接することに恐怖を覚え、女友達と話すような自然な会話は男子とはできませんでした。
ただ、決して悪いことばかりではありませんでした。
味方についてくれた友人は、私を一人にしないよう休み時間には声をかけてくれたり、
「話を聞いて欲しい時、相談事は隠さずにいうんだよ!」と背中を押してくれて、嬉しかったのと安心したのを20年経った今でも覚えています。
また、カウンセリングで気づいたこともありました。
いじめに遭ってどん底にいるときは、無意識に足元を向きながら歩いていたようなのです。
ですが、いじめがおわって、心優しい友人たちと仲良く過ごしていくうちに、自然と目線が上がっていきました。
カウンセラーに「前を見て歩けるようになったね」と言われた時には、全く自覚がなかったので驚きました。
ここから、少しずつですが、私は変わっていくことになります。
まとめ
ここまでが、いじめを受けていた当時の私の話です。
正直に言うと、この経験は簡単に「いい思い出」になんてできるものではありません。
記事に書いて誰かの助けになれたらいいと思いつつも、嫌なことを思いだすのが苦しくて、記事にするかどうかも迷い続けていました。
ただ、この出来事があったからこそ、少しずつですが自分の考え方や行動が変わっていったのも事実です。
今となっては、いじめを受けたからこそ、誰よりも強く生きているし、幸せな生活を過ごせているのかもしれないとも思っています。
次の記事では、そんな私が中学生になってから、どうやって少しずつ変わっていったのかを書いていきます。
おわり!


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